リコード法を実践中☆ななくん blog

若年性アルツハイマー病の診断を受けた母にこれからも母らしく生きて貰いたくリコード法に取組んでいます。母は大阪、私は東京の遠距離介護。普段は理学療法士として訪問リハビリや自主サークルで運動指導等をやっています。

被災地の裏側で。

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昨日で東日本大震災から8年なんですね。

 

何かの記事で

 

「忘れちゃいかん」

 

の一方で、

 

「早く忘れたい」

 

という想いを抱く方がいらっしゃる事を知り、言葉では言い表せない現実があると感じました。

 

1995年の阪神淡路大震災

 

私は地元大阪で経験し、電車が復旧してすぐに、被害の大きかった東灘区に行きました。

 

10代の私には、その光景がとてもショッキングなものでした。

 

試験の前か何かだったので、学校を休んで叱られるかと思ったけど、世界史の先生に褒められて、その感覚は悪い事ではなかったのだと、学生なりに安心した事を覚えています。

 

2016年の熊本地震

 

一月くらい経った頃に、数日だけボランティアに参加しました。

 

現地でしか分からない現実がそこにもありました。

 

2011年の東日本大震災

 

私は現地には行きませんでした。

 

行きたいと思った時、東京で起こっている、1つの現実を知ったからです。

 

原子力発電の問題で、東京の一部では計画停電が行われました。

 

たまたま、私が以前勤めていた特養の介護職員と連絡を取った際、

 

「特養が大変だ」

 

と聞かされ、何が?と聞いたら

 

「明日、計画停電だから、夕方までに、ご利用者全員を寝かせないといけない」

 

と。

 

え?!

 

そんな事が起こっているのか、、、と。

 

17時までに全員を寝室に連れていくというのは、本当に大変です。

 

前倒しで、入浴、食事、トイレ介助、誘導、電灯の準備などを行わなければなりません。

 

私は、次の日、特養に行きました。

 

内心は切羽詰まっていても、ご利用者、特に認知症のある方に、それを悟られないように、普段通りに接することを職員間で気をつけた事を覚えています。

 

食事も早まるから、全く普段通りになんていくはずはないのだけれど、

 

驚くほど敏感に察知するのは認知症の方々の特徴のような気がします。

 

その後も、計画停電という名の、全然計画的ではない情報に暫く翻弄された事を覚えています。

 

東北の被災地の方々の悲しみや辛さは画面を通じてしか知らない私ですが、

 

その一方で、被災地からは遠く離れた場所でも、色んな事が起こっているという事を知るきっかけを頂きました。

 

やはり、弱者と呼ばれる方々に優しい世界であってほしい。

 

そして、できれば、自分は、そういう感覚を芯に持って生きられる人間になりたいと思います。

 

なかなか自分主義になってしまうし、

 

まだまだ知らない事が多いけど、少しずつ。

 

そんな事を考えながらの昨日

 

訪問リハビリでのお一人

 

そして母さま

 

 

さつまいも難民です。。

 

めげずに、今日、別のものを注文してみました。

 

今度こそ!

 

そして砂糖やマーガリン、本当に辞めてほしい。

 

特に食事面の改善は、家族の協力が必須ですよね。。

 

 

介護保険申請。

 

悩ましい。。

 

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