リコード法を実践中☆ななくん blog

若年性アルツハイマー病の診断を受けた母にこれからも母らしく生きて貰いたくリコード法に取組んでいます。母は大阪、私は東京の遠距離介護。普段は理学療法士として訪問リハビリや自主サークルで運動指導等をやっています。

発症、診断、リコード法

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2018年10月16日。

母さまが若年性アルツハイマー病と診断。

 

この日は、朝から私の運動サークルに参加して貰い、焼肉ランチ、そして1時間半の散歩をした後、母には内緒で予約していたクリニックを訪れました。

 

最初から話すと嫌がって行かないと思ったので、予約時間になる頃に、クリニックの前を通りかかる風を装っての受診。

 

内心、ごめん!と思いながら、

 

「お母さんの年齢だと、健康診断みたいな感じで、みんな受けるんだよ」

「ここの先生、とても良い先生みたい。空いてるといいなー」

と嘘とも本当とも言えない話をしました。

 

言うまでもなく、母はとても不機嫌でした。

 

アルツハイマー病は、20年以上前から徐々に病魔に侵され続けた結果、発症すると言われています。

 

つまり現在の医学で言うところの「発症」は、本当の意味では、既に病気はとても進行した状況で、ある意味「末期」だと言うこと。

 

20年前。

確かに色々あった。本当に色々あった。。

 

もっと言えば

30年ほど前から、結構色々あった。。。

 

母は、私や弟を不安にさせるような事は一切話さなかったので、私も大学に入って以降に、叔母などから聞いた事実も沢山あります。

きっとまだ知らないことも沢山あるのだと思います。

 

30年前。

母の生活と言えば、私と弟を育てながら、昼も夜も働き詰めでした。

 

家庭でも色々ありました。

我慢の限界に達したであろう時が度々あったことは、子供の記憶ながらに鮮明に覚えています。

私も弟くんもよくグレずに生きてきたものだ、苦笑

 

20年前。

私は大学で九州に、弟くんも実家近くで1人暮らしをする中、これもまたちゃんとは把握できていないけれど、母にとって、とても大きなストレスになったであろう事がありました。

 

よく1人で切り抜けたなと。

 

そして、4年ほど前。

いよいよ母の様子がおかしくなり始めました。

 

どんどん症状が出ていた2016年4月。

嫌がる母を説得し、病院に連れていって貰いました。

 

MRIやSPECT検査などの画像検査やHDS-Rなどの問診を行い、

 

「年相応で特に問題なし」

 

という結果。

 

母は更に「自分は病気ではない」と頑固になったように思います。

 

それでもどんどん症状は出て、やはりおかしいと思った私は、翌年、直接病院に電話で問合せました。

その際も「特に問題はなかった」と。

 

診断名がついていないかも質問しましたが

「付いていません」と。

 

正直、うつ病などの精神疾患もよぎっていたので、「問題ない」に疑問しかありませんでした。

 

母に電話をかけても出ないことが多くなり、

繋がってもいつも「仕事が忙しい」

 

仕事量が増えたのではなく、段取りや整理ができなくなっていたのは明白でした。

 

結果、母は、去年の8月、自らの意志で仕事を辞めました。

 

そして、退職から2ヶ月後の10月。

東京で診断されました。

 

私がリコード法を知ったのはその直後です。

 

リコード認定医に経過を見て貰う材料として、2016年に受診した病院に診療情報提供書を出して頂きました。

 

するとそこには、

「SCI(〜軽度MCI)」

の診断名が、、、

 

後付けですか。。。かなり苛立ちました。

 

当時、SCIやMCIと診断されていれば、母の意識も少しは変わっていたと思います。

 

何のための検査だったのか、、、

私が付いていって、食い下がって質問すれば違ったのか、、、

 

でも、もう時間は取り戻せません。。

 

人間誰しも色々あるのが人生。

ただ、こうして振り返ってみると、母の脳に大きなダメージを与えたであろう出来事が、やはり節目節目で生じていて、

 

今思い返すと、

私、その時々で、何の力にもなれていなかったなと、

若干自責の念に囚われたりする訳です。

 

でも、もう昔には戻れないので、今からできる親孝行?をしていくしかありません。

 

母は、とても厳しい人でしたし、1人で頑張ってしまう性格、頼まれたら出来ないとは言えない性格で、私にとって、そんな母の背中はやはり大きい。

 

鬼ババアと言われるくらい厳しかったけど、それ以上に大きな愛を感じていたし、尊敬もしていました。(それは今も変わらない)

 

多分、父親の分もしっかりしなければ、という想いもあっただろうし、母の元々の性格も大きいと思います。

 

良くも悪くもプライドが高い。

 

でもそれは決して「完璧な母、完璧な女性」だった訳ではなく、それを「頑張って演じ続けていた」だけ。

 

その代償として、自分の中にどんどんとストレスを溜め込み、脳にもダメージを与え続けていたんだろうと、今は思います。

 

そう考えると、今回の母の発症は、なるべくしてなった、というか、私の中では、どこか合点がいくものでした。

 

そんなに強い人間なんて、この世に存在しない。

 

母も然り。

 

とは言え、

「はい、そうですか。仕方ないですね」

なんて考えにはならないし、何とか、これからも母らしく生きて貰えるように、という想いがどんどんと強くなっています。

 

そんな気持ちにさせてくれる大きな支えは、やはり

 

リコード法

 

正直、やる事がありすぎて、若干路頭に迷ってはいるけれど、それは、まだ私がリコード法を理解できていないからでもあると思います。

 

思うように反応が出るとは限らないから大変な作業にはなるのでしょうが、だからこそ生きている証。

考え方自体は、きっととてもシンプルなのではないかと、今は感じるようになっています。

 

母の人生は、まだまだこれから。

 

診断を受けた直後、2人で色んなことを話しました。

 

そして、母は頑張る気でいます。

 

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早速、運動だ!と、一緒に買物をした後、荷物を負荷にしながら散歩した図。

拷問だー!無理ー!と叫びながら頑張る母と2人でケラケラ笑っておりました。

 

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そしたら通り雨に遭い、2人でダッシュして帰った図、笑

母は私より体力があるかもしれません。

 

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私がリクエストして生姜焼きを作ってもらった図。

台所の勝手が分からん!と、ぶつくさ言いながら作ってくれました。

後から見たら、食器や調味料の置き場所が変わっていて宝探し状態になりました、汗

 

リコード法

 

早めに全てに取り掛かれるにこしたことはないけれど、

 

理解できていなくても手を出して良いものと、

慎重になるべきものは、

最低限見極めながら、取り組んでいきたいと思います。

 

だって治療だから。

 

診断を受けて、多少私や弟にも頼ってくれるようになった母ですが、まだまだ1人で抱え込んでいる節があります。

 

それをどうやって解放させていくか、、、

 

 

そして、ここ数年で圧倒的に増えた母の口癖

 

「ごめんね」

 

の言葉を少しでも減らしたい。

 

遠距離介護である私の、これからの大きな課題だと思っています。

 

思うようにいかないこと、ぶつかり合うことも増えるでしょうが、その中に少しでも楽しみを見つけて、共に生きていけたらと思います☆