仕事を辞めること
去年8月、母は自分の意志で仕事を辞めました。
診断の2ヶ月前でした。
写真は、母が退職時に、お世話になった方々に用意した品。
働いている間には配り切ることができず、退職後、約3ヶ月をかけて、全員に挨拶に出向いて配り終えたようです。
母の様子がおかしくなってきたのは、かれこれ4年ほど前。
どんどんと仕事でもミスが増え、母自身、追い詰められていったのは確かだと思います。
たまたま従姉妹が母と同じ会社に勤めていたので、私は、時々症状を教えて貰っていました。
お客様相手の営業という仕事柄、いつも本当にきっちりしていた母でしたが、
書類の整理ができなくなり、
お客様とのアポイントをすっぽかし、
朝礼の当番で日付も書けない日が出てきたり、
ロッカーの鍵の番号が分からなくなったり、
携帯電話の操作ができなくて連絡がとれなくなったり、
運転で道に迷ったり、、、
色んな事が起こっていたようです。
土日に電話をしても、いつも職場にいました。
私が実家に帰った際も、深夜に畳の部屋いっぱいに書類を広げて、じーっと眺めていたり、
帰宅後に「ちょっとお客さんとこ行ってくるわ」と再び出かける事も頻繁でした。
母にとって幸いだったのは、お客様が長年の付き合いの方が多かったため、クレームというよりは心配して下さる方々が殆どで、
それは母が、誠心誠意向き合ってきた、お客様からの贈物だったのではないかと有難く思っています。
クレームが重なればもっと早くに受診したかもしれませんが、母の気持ちを考えると、見守って頂けた事に感謝しかありません。
職場の同僚も、同じく長年の付き合いの方々が多かったので、基本的には心配をして下さっていたようですが、
それでもやはり、陰口になり、悪口になり、
「◯◯さん、頭おかしいでー」
と心無い言葉を母に直接かける人もいて、
最後の1年は、相当肩身の狭い思いをしていたのではないかと思います。
もちろん私たち家族には、母はそんな話は一切しませんでした。
33年以上勤めてきた会社。
「65歳までは頑張る」
と常々言っていた母。
症状が進んでからも、最後の最後まで同じことを言い続け、まるで自分に言い聞かせているようでした。
2016年の検査で「特に問題はない」と言われていたこともあり
「自分は病気ではない。ミスは自分が悪いんだ」
そう自分を責めていたようにも感じます。
2017年の夏頃だったかと思います。
母から初めて
「仕事を辞めようと思う」
と伝えられました。
それは、
「糸が切れたみたいに、やる気がなくなった」
という言い方でした。
当時、明らかにうつ症状も出ていたので、本当に辛い決断だっただろうと感じました。
母が「65歳までは」と言っていた言葉を想うと、
「良いと思う!」
としか私は言えませんでした。
そして、
「年明けには辞めるわ」
そう言っていた母でしたが、実際に辞めるまでに約1年かかりました。
「引き継ぎがまだ出来ひんねん」
と、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、、、どんどんと退職を延期する母。
いつも至って明るい口調でそう言っていました。
そんな状況を見て、近くに住む親戚は「早く仕事を辞めさせて」と私に電話をしてきました。
だけど、母が、辛いことがあっても辞める事なく、33年以上勤めてきた仕事の終止符を、私が決めることは出来ませんでした。
母が辞めると自分で決めたのであれば、それを「待つ」。
親戚は電話で泣いていましたが、泣きたいのは母だと思いましたし、
「もうここまできたら1ヶ月や2ヶ月、病院に行くのが遅れてもやれる事は同じ。それよりも、私は母の意志を尊重する。陰で泣くくらいなら病院に連れて行ってくれればいい」
私は親戚にそう言っていました。
もちろん「やれる事は同じ」とは思っていませんでしたし、1日も早く受診をさせたかったです。
もっと言えば、仕事を辞める前に診断を受けさせたかった。
母には退職前に何度も受診を勧めましたが、母は拒絶し続けました。
毎月延ばし延ばしにする状況にヤキモキしつつも、
「本当は65歳まで続けたかったんだ」と思うと、
見守ることしかできなかった、
というのが正直なところです。
母にとって、仕事は生き甲斐でした。
子育てをしながらでもできるから、と始めた仕事でしたが、最後まで責任を持って取組んでいました。
でも、その責任感が、どんどんと母のストレスにもなっていったのだとも思います。
症状も進む中、電話をかける度に、高頻度で風邪を引いていた母に、
「もう年やし、そんなにお金も必要ないねんから、ちょっとセーブしたら?」
と何度言ったか分かりません。
母は、その都度、
「もうだいぶ治った。お客さんもいるからー」
と言っていました。
会社の悪口や「しんどい」「辞めたい」という言葉は殆ど聞いたことがありません。
母の人生の半分以上を共に歩んできた仕事。
母は仕事が好きでした。
60歳で一応の定年となり、その際に出た退職金で、親族を旅行に連れて行ってくれた母。
本当は逆なのですが、母のおかげで楽しい思い出を作ることができました。
そして去年、いよいよ退職をした母は、更に「女子会」と銘打って、女子のみを旅行に連れて行ってくれました。
個々でお金は出そうという私たちに
「今まで何にもしてあげてないから、何かお礼がしたいねん。もう最後やから…」
と頑なでした。。
みんなが楽しそうにしている姿を見るのが、大好きな母。
そんな性格は、おばあちゃん譲りなのだと思います。
若年性アルツハイマー病
その発症の平均年齢は約51歳だと言われています。
母は64歳だったのでギリギリではありましたが、もっと働き盛りの世代での、仕事を辞める決断というのは、周りが言うほど簡単なものではないように感じます。
仕事を辞める前に診断を受けるべき、というのも、年金や保障を考えれば、確かにそうです。
だけど、母は、
「会社に迷惑をかけたくない」
とも言っていました。
「知られたくない」という気持ちもあった様に感じます。
やはりまだまだ、若年性や認知症の間違った認識や偏見が、広く一般的のように感じます。
認知症は長年かけて進行します。
であれば、せめて、退職をしてから暫くの期間での診断は、就業中の発症であると認めるような制度になるべきだと思います。
母のように職場でのミスなどもきっと沢山出ているはずですから。
母でさえこうだったのだから、働く世代・子育て世代で発症する方々の現実を、もっと想像して、法を整備してほしいと思います。
これから母はどうなるのかな。
大阪の母の周りには、こんなに沢山の親戚もいますし、仕事を通じて出逢った生涯の友人もいます。
母が、みんなに頼ってくれるようになる事を切に願いつつ、
私は、せっせとサプリや食材の補充作業をしようと思います、苦笑
あれ?#満月🌕?
— ななくん (@nana_kun_ran) 2019年3月20日
と思って写真撮ったら左上に #宇宙船⁉️
肉眼では見えず👽🛸
そうか明日は #春分の日
最近お月様を見る余裕もなかったかも。これではいかん✨ pic.twitter.com/R0xeDwtpIG
昨日、お月様が綺麗で写真を撮ったらUFOに遭遇!
今日、運動サークルの皆さんにその話をしたら
「先生、疲れているのですね」
と、冷静にあしらわれました、、、
え!?本当にUFO見ましたからーーー!