リコード法を実践中☆ななくん blog

若年性アルツハイマー病の診断を受けた母にこれからも母らしく生きて貰いたくリコード法に取組んでいます。母は大阪、私は東京の遠距離介護。普段は理学療法士として訪問リハビリや自主サークルで運動指導等をやっています。

仕事を辞めること

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去年8月、母は自分の意志で仕事を辞めました。

診断の2ヶ月前でした。

 

写真は、母が退職時に、お世話になった方々に用意した品。

働いている間には配り切ることができず、退職後、約3ヶ月をかけて、全員に挨拶に出向いて配り終えたようです。

 

母の様子がおかしくなってきたのは、かれこれ4年ほど前。

 

どんどんと仕事でもミスが増え、母自身、追い詰められていったのは確かだと思います。

 

たまたま従姉妹が母と同じ会社に勤めていたので、私は、時々症状を教えて貰っていました。

 

お客様相手の営業という仕事柄、いつも本当にきっちりしていた母でしたが、

 

書類の整理ができなくなり、

お客様とのアポイントをすっぽかし、

朝礼の当番で日付も書けない日が出てきたり、

ロッカーの鍵の番号が分からなくなったり、

携帯電話の操作ができなくて連絡がとれなくなったり、

運転で道に迷ったり、、、

 

色んな事が起こっていたようです。

 

土日に電話をしても、いつも職場にいました。

 

私が実家に帰った際も、深夜に畳の部屋いっぱいに書類を広げて、じーっと眺めていたり、

 

帰宅後に「ちょっとお客さんとこ行ってくるわ」と再び出かける事も頻繁でした。

 

母にとって幸いだったのは、お客様が長年の付き合いの方が多かったため、クレームというよりは心配して下さる方々が殆どで、

 

それは母が、誠心誠意向き合ってきた、お客様からの贈物だったのではないかと有難く思っています。

 

クレームが重なればもっと早くに受診したかもしれませんが、母の気持ちを考えると、見守って頂けた事に感謝しかありません。

 

職場の同僚も、同じく長年の付き合いの方々が多かったので、基本的には心配をして下さっていたようですが、

 

それでもやはり、陰口になり、悪口になり、

「◯◯さん、頭おかしいでー」

と心無い言葉を母に直接かける人もいて、

 

最後の1年は、相当肩身の狭い思いをしていたのではないかと思います。

 

もちろん私たち家族には、母はそんな話は一切しませんでした。

 

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33年以上勤めてきた会社。

 

「65歳までは頑張る」

 

と常々言っていた母。

 

症状が進んでからも、最後の最後まで同じことを言い続け、まるで自分に言い聞かせているようでした。

 

2016年の検査で「特に問題はない」と言われていたこともあり

「自分は病気ではない。ミスは自分が悪いんだ」

そう自分を責めていたようにも感じます。

 

 

2017年の夏頃だったかと思います。

 

母から初めて

「仕事を辞めようと思う」

と伝えられました。

 

それは、

「糸が切れたみたいに、やる気がなくなった」

という言い方でした。

 

当時、明らかにうつ症状も出ていたので、本当に辛い決断だっただろうと感じました。

 

母が「65歳までは」と言っていた言葉を想うと、

 

「良いと思う!」

 

としか私は言えませんでした。

 

そして、

「年明けには辞めるわ」

そう言っていた母でしたが、実際に辞めるまでに約1年かかりました。

 

「引き継ぎがまだ出来ひんねん」

 

と、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、、、どんどんと退職を延期する母。

いつも至って明るい口調でそう言っていました。

 

そんな状況を見て、近くに住む親戚は「早く仕事を辞めさせて」と私に電話をしてきました。

 

だけど、母が、辛いことがあっても辞める事なく、33年以上勤めてきた仕事の終止符を、私が決めることは出来ませんでした。

 

母が辞めると自分で決めたのであれば、それを「待つ」。

 

親戚は電話で泣いていましたが、泣きたいのは母だと思いましたし、

 

「もうここまできたら1ヶ月や2ヶ月、病院に行くのが遅れてもやれる事は同じ。それよりも、私は母の意志を尊重する。陰で泣くくらいなら病院に連れて行ってくれればいい」

 

私は親戚にそう言っていました。

 

もちろん「やれる事は同じ」とは思っていませんでしたし、1日も早く受診をさせたかったです。

 

もっと言えば、仕事を辞める前に診断を受けさせたかった。

母には退職前に何度も受診を勧めましたが、母は拒絶し続けました。

 

毎月延ばし延ばしにする状況にヤキモキしつつも、

「本当は65歳まで続けたかったんだ」と思うと、

見守ることしかできなかった、

というのが正直なところです。

 

母にとって、仕事は生き甲斐でした。

 

子育てをしながらでもできるから、と始めた仕事でしたが、最後まで責任を持って取組んでいました。

 

でも、その責任感が、どんどんと母のストレスにもなっていったのだとも思います。

 

症状も進む中、電話をかける度に、高頻度で風邪を引いていた母に、

「もう年やし、そんなにお金も必要ないねんから、ちょっとセーブしたら?」

と何度言ったか分かりません。

母は、その都度、

「もうだいぶ治った。お客さんもいるからー」

と言っていました。

 

会社の悪口や「しんどい」「辞めたい」という言葉は殆ど聞いたことがありません。

 

母の人生の半分以上を共に歩んできた仕事。

母は仕事が好きでした。

 

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60歳で一応の定年となり、その際に出た退職金で、親族を旅行に連れて行ってくれた母。

 

本当は逆なのですが、母のおかげで楽しい思い出を作ることができました。

 

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そして去年、いよいよ退職をした母は、更に「女子会」と銘打って、女子のみを旅行に連れて行ってくれました。

 

個々でお金は出そうという私たちに

 

「今まで何にもしてあげてないから、何かお礼がしたいねん。もう最後やから…」

 

と頑なでした。。

 

みんなが楽しそうにしている姿を見るのが、大好きな母。

そんな性格は、おばあちゃん譲りなのだと思います。

 

若年性アルツハイマー

 

その発症の平均年齢は約51歳だと言われています。

 

母は64歳だったのでギリギリではありましたが、もっと働き盛りの世代での、仕事を辞める決断というのは、周りが言うほど簡単なものではないように感じます。

 

仕事を辞める前に診断を受けるべき、というのも、年金や保障を考えれば、確かにそうです。

 

だけど、母は、

「会社に迷惑をかけたくない」

とも言っていました。

「知られたくない」という気持ちもあった様に感じます。

 

やはりまだまだ、若年性や認知症の間違った認識や偏見が、広く一般的のように感じます。

 

認知症は長年かけて進行します。

であれば、せめて、退職をしてから暫くの期間での診断は、就業中の発症であると認めるような制度になるべきだと思います。

母のように職場でのミスなどもきっと沢山出ているはずですから。

 

母でさえこうだったのだから、働く世代・子育て世代で発症する方々の現実を、もっと想像して、法を整備してほしいと思います。

 

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これから母はどうなるのかな。

 

大阪の母の周りには、こんなに沢山の親戚もいますし、仕事を通じて出逢った生涯の友人もいます。

 

母が、みんなに頼ってくれるようになる事を切に願いつつ、

 

私は、せっせとサプリや食材の補充作業をしようと思います、苦笑

昨日、お月様が綺麗で写真を撮ったらUFOに遭遇!

今日、運動サークルの皆さんにその話をしたら

「先生、疲れているのですね」

と、冷静にあしらわれました、、、

 

え!?本当にUFO見ましたからーーー!